一本の電話

 その日の午前中のことである。『大いなる機械』の中心部でもある町の警察署に一本の電話がかかってきた。そのあまりにも理解しがたい内容に、誰かのいたずらか、果てまた頭のネジが数本飛んでしまったような人間からの電話だと思われた。そして、さまざまな部署に内線で何度もたらい回しにされたあげく、最終的には一人の若い婦人警官にあてがわれたのだ。彼女は先日、市内の小学校で行われた交通安全教室で、何らかの失態をしてしまい、誰もが嫌がる苦情担当窓口に転属させられてしまっていたのである。受話器の向こうの人物は、そんな彼女の耳に向かって、さっきから十数回も繰り返した話をまた最初から話し出した。そして、その話は確かにすぐには信じ難い内容だったのである。
その電話の主である男性は、ある小さな病院の医師ということだった。そして、なんとその医師は、あの『大いなる機械』での爆発事故の際に巻き込まれた犠牲者全員の死亡診断書を書いたものの、事故直後のあまりに緊迫した多忙な状況の中で、本当は生存していて軽傷で済んだ二名を間違えて死亡したことにしてしまった、というのだ。だが、あの事故に関しては警察内部のある特定の課が担当して、すでにすべて解決済みということになっていたし、また、そもそも『大いなる機械』内部で起こった事故について、警察がちゃんとした調査に出るということは、まずあり得なかったのである。というのも『大いなる機械』では今まで数えきれないほどの事故が実際に発生していたにも関わらず、なぜか調査をすると、犠牲者と思われた人物が全く別の件で怪我をしたことになっていたり、遊びに行っている最中に事故に遭い、犠牲になったことになっていたりするからである。言うまでもなく、これは『大いなる機械』による「労災隠し」であったのだ。だが、それがあまりにも日常的に行われ、また、町の人々の間でも「常識」となっていてしまったため、警察も『大いなる機械』での事故と聞いただけで、どんなに大きな事故でも全く調査をせずに済ませてしまう習慣が常識化していたのである。
その医師を名乗る人物は、自分が間違えて死亡したことにしてしまった二人の研究員の死亡を取り消し、警察署内の関係資料もすべて修正して欲しい、と言うのだ。この話に興味を持ったその若い婦人警官は立ち上がり、病院へと直行した。

 外観は非常に古く、お世辞にもとても綺麗とは言えない病院だった。というより、どう見てもすでに閉鎖されてから十年以上は経っているというような感じの病院だった。玄関を入っても患者らしい人影は一人も見えず・・・かなり怪しい病院だったのである。調査してみれば分かることだが、もしかしたらばヤミ医者なのかもしれない。すべてが胡散臭かった。だが、中に入った彼女は、その病院の内部にある最新の医療機器と設備にびっくりしてしまったのである。目の前の医師は、彼女に「電話で話したことがすべてだ」と言った。そして、「処理に必要な書類は言ってくれればすべて用意する。どうかよろしく頼む」と言い、そして、そこで大きく息をつくと、真剣な顔で彼女を見つめ、「実はもう一つ頼みたいことがある」と言った。その時、彼女はその医師の顔にどこか見覚えがあるような気がしたのだ。だが、医師はそんな彼女が考えていることなど無視するように言葉を続けた。
「実は何年も前から、一人の患者を抱えていてね。本当はもうとっくに退院してもいいほど回復しているはずなんだが、頑固で出ていかないで困っているんだよ。君の口から説得してみてくれないか? その患者のためだけにこの病院はあるようなものなんだが、・・・そろそろ本当にここを閉めようと思っていてね。まあ、とにかく、物は試しに一度会ってみてはもらえないだろうか?」
そんな医師の頼みに、人が良く真面目な彼女は二つ返事で快諾し、立ち上がった。そして、振り向きざまに医師に向かってこんなことを聞いたのである。
「つかぬ事をお訊ねするようですが・・・、先生は以前、どこかの小学校に勤めていらしたことがございませんか?」
医師は「馬鹿馬鹿しい」というように顔を横に振った。彼女は「自分の思い違いです」と頭を下げ、こう言った。
「以前、私が交通安全教室で訪問した小学校に、先生によく似た方が勤めていらしたんです。まだ新米で緊張しっぱなしだった私を励ましてくれて、すごく嬉しかったんで覚えていたんですよ。あ、・・・でもあの人は用務員の方だったかもしれません。すみません、とんちんかんなことを言って。」
医師はそんな彼女の言葉にただ笑って何も答えず、先に歩き出して、彼女を奥の病室へと案内したのだった。



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