その後、署内で

 その日の夕方、一人の浮浪者らしき男が警察署の入り口からフラッと入ってきた。あまりにも汚れ、みすぼらしい格好をしていたその男は、入り口から十歩も進まないところで前に立ちはだかった警官によって行く手を阻まれてしまった。
「あんたね、一体どこ行こうとしてるの? 勝手に入ってこられちゃ困るな。」
それでも男は無言のまま立ちすくんでいた。警官は男から漂ってくる異臭に顔をしかめ、腰から警棒を取り出すと、男の横腹を軽く突いた。
浮浪者の男は低く呻いたものの、それでも動こうとしなかった。警官はさらに力を入れて警棒を握り直し、ふぅーっとため息をついた。
「おっさん、分かっているよね。今すぐ出ていかないと痛い目に遭うよ。」
浮浪者の男はゆっくりと顔を上げ、警官の目をじっと見た。その瞬間、警官は男の目の奥に何かの光を見て身体が硬直し、動けなくなった。男は表情一つ変えず、警官の左側をすり抜けるとまっすぐに奥の一室へと歩を進め、すでに無人になっていたその部屋の自販機の横のゴミバケツをしばらく漁っていた。そしてそれが済むと、今度は立ちすくんだままの警官の右をすり抜けて、何事もなかったかのように去って行ったのだ。
立ったままの姿勢を続けていた警官の手から警棒がすべり落ち、コンクリートの床の上で乾いた音を立て、その音で彼はハッと我に返った。わずかに漂う異臭に再び顔をしかめたが、その臭いの元が何であったのか、彼にはついに思い出せなかったのだ。

 翌日、警察署内の別の一室で、一人の若い婦人警官がせわしなく何かの準備に追われていた。経験者の誰もが面倒くさがり、敬遠するその仕事だったが、真面目だけが取り柄の彼女にとってはそれもまた重要な任務の一つであったに違いない。だが・・・、その任務に欠かせない重要な道具・・・いや、大切なパートナーの姿が見当たらず、彼女は内心焦っていたのだ。時間に余裕は無かった。いつもならここにあるはずなのに・・・いや、確か、前回の仕事の後、この棚の上に置いたはずなのだ。その時、彼女は部屋の隅に見慣れない段ボール箱が置かれていることに気がついた。藁にもすがる思いでその箱を開けた彼女の目に飛び込んできたのは・・・ボロ服を身にまとった汚い腹話術人形だった。彼女の目が輝いた。いつもの人形とは違ったものの、そんなことには構っていられない。きっとずっと前まで使われていた前任の腹話術人形なのだろう。少し臭(にお)ってくることが気にはなったが、彼女はその腹話術人形を急いでトランクに詰め込み、市内の小学校で一時間後に開かれる交通安全教室にいそいそと出かけて行ったのであった。


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