人間・猫・チンパンジー

 東の空の色は青みがかった黒から淡い紫に変化していくところだった。湿気の多い夜明けの空気を胸に大きく吸い込んだウズラちゃんは、決心を固めたようにゆっくりと息を吐きだした。その白い息が町の中に溶けていくのを見て隣にいた用務員のおじさんはそっと話しかけた。
「本当に一人で大丈夫なのかな・・・。」
ウズラちゃんはちょっと小さな笑顔を見せて答えた。
「おじさん、一人じゃないのよ。ほら、キリモミ君もチューも一緒なんだから。」
そして、ウズラちゃんはキリモミ君を抱えて建物と建物のほんのわずかな隙間へと入っていったのだった。大人では片足すら入らないような隙間であったから、用務員のおじさんとしては、ただ、ウズラちゃんが何らかの成果を持って帰ってくるのを待つしかないのだったが、隙間に消えていくウズラちゃんの後ろ姿を見て、用務員のおじさんは正直なところ、ハッとしたのだった。あんなに小さなウズラちゃんだったのに、そんなことを全く感じさせないほど大きく見えたのだ。ここ数週間の間に本当にいろいろなことがありすぎた。昨夜の話はするべきではなかったのかもしれない。と彼は思った。まだ子供であるウズラちゃんにとって、両親とは絶対なものであり、絶対に正しいものなのに、その行動を批判するような話になってしまったことを彼は後悔していたのだ。誰だって間違いはおかすものだ。自分は一体どうなのだ。そう思って彼はがく然とした。私はまだ、多くの事をウズラちゃんに話していない。自分が過去におかした大きな間違い・・・いや、現在もおかし続けている罪の事について私はあえて沈黙を守ったままだ。これがどれほど大きな犯罪であるのか・・・その事に思いをはせた時、彼はその場に倒れそうになるのを必死にこらえた。身体に走った震えが止まらなくなっていた。彼は何より恐れていたあの闇に脳が支配されるのを必死の思いでこらえ続けていたのだ。

 長く続く隙間の間を進み始めてしばらくしたころ、ウズラちゃんの腕の中でキリモミ君は目を覚ました。本当に長い間、キリモミ君はこの町から離れていたような気がしていた。まだ、頭がはっきりとはしていない状態が長く続いていたものの、突然、かつて聞いたことのあるしゃがれた声が耳に入ってきて、ようやく意識がしっかりとした。
この狭い隙間の中に一ヶ所だけ少し広くなった所があって、ここが『あったりめえの関所』であり、そこに一升瓶に囲まれるように寝転がっているでっかいおじさんが『あったりめえのおっさん』であった。おっさんはウズラちゃんとその腕の中のキリモミ君を見てうれしそうだった。
「こら! ウズラ! またその妙な腹話術人形と一緒なんだな。言っておくがオイラはあったりめえの事しか許さんぞ!」
ウズラちゃんは言った。
「例の話。あのイチジクの木が生えてきた場所を教えて欲しいのよ。」
あったりめえのおっさんはまずは一升瓶から酒をぐっとあおって怒鳴るような大声で言った。
「もちろんだ。あったりめえの話、オイラは約束は守るからな。だが、その前に一つ言っておきたいことがある。」
そこでおっさんはまた酒をあおった。
「人間、猫、チンパンジー。こいつらだけは信用しないほうがいい。悪いことは言わん。あの用務員の男とは関わるな。あいつはあいつなりの目的があって動いているに過ぎねえ。これからイチジクの木の場所を教えるが、そこで手に入れたものは自分の中にしまっておけ、まあ、お前の勝手だけどな・・・。」
ウズラちゃんは小さな声で言った。
「私にとって大切なのは・・・、誰が正しいかっていうことじゃなくて、誰が好きなのかっていうことなのよ。私は正しくなくても、好きな人を信じたい。」
あったりめえのおっさんは、ため息をついて言った。
「お前の母親もそんなことを言ったな。そうか・・・まあ、いい。」
そしておっさんはウズラちゃんにイチジクの木が生えてきた場所、すなわちウズラちゃんの家があった場所を教えたのである。



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