能力の美学

 夜も更けて、あたりは濃い闇に沈んでいこうとしていたが、仄(ほの)かな明かりの灯る電機屋の一室で、ウズラちゃんと用務員のおじさんはまだ寝つけなくて隣のキリモミ君の気配をうかがうように息をひそめた。やがて用務員のおじさんか話しだした。

「もう、20年も前の話だ。私の父は大学の研究室で教え子の学生達とあの部品の研究開発を行っていた。
あの部品自体に問題があったわけではない。全てがおかしくなってしまったのは、この研究開発にスポンサーが現われてからだった。だいたい想像がつくだろうけれど、それが現在の『大いなる機械』だ。
父はそんな『大いなる機械』の動きに何か危険を感じたのかもしれない。資金援助の申し出を断り続けた父の研究室はやがて二つに分裂していってしまった。この部品の研究開発には多額の資金が必要で、その不足が原因で遅れがちだった状況の原因を父の姿勢にあると主張する学生達もいたんだよ。彼等はやがて『大いなる機械』に引き抜かれていってしまったのだ。『大いなる機械』における彼等への待遇は破格のものだったし、彼等の豪勢な生活を見せつけられて、また、父の元を離れていく学生もいた。もちろん、彼等を責める気はない。その後、彼等が辿った運命を考えれば、今では彼等に同情さえ感じるよ。ウズラちゃんのお父さんもそんな中の一人だった。そして、その後を追って行ったのがウズラちゃんのお母さんだった。
その後の父の様子はひどいものだった。父の身体(からだ)にあれほどみなぎっていた力が全て抜けてしまって、ボロボロになり病床に伏してしまった。うわ言のように父は言っていた。あの二人は天才だ、あの二人ならきっと完成させてしまうかもしれない。あの部品が『大いなる機械』の中で完成されてしまう・・・ってね。
あの部品の機能は簡単に説明することは出来ないけれど、問題だったのはそれが人々の心の中に『能力の美学』を芽生えさせ、やがてそれに支配されるようになってしまうことなんだ。『能力の美学』って言うのはね、つまり常に能力が優れているものが良しとされて、劣っているものに対してはその存在さえも否定してしまう、という恐ろしい考え方なんだよ。
父は恐れていた。自分が生涯を賭けて作り出してきたものが、使い方次第で父の考えていたものとは全く別の意味を持つものに変えられてしまうのだから・・・。父はこの世を去る寸前まで悔やんでいた・・・。」
その時、隣の部屋から誰かの声が聞こえた。それは、キリモミ君の生みの親だった。
「つまり、・・・人はいつでも自分の作り出したものによって殺されてしまう・・・。」
その言葉を聞いた用務員のおじさんの顔色が青ざめた。
「その言葉を、どうして! 私の父が死ぬ直前に言った言葉だ。」
男は静かに続けた。
「誰だって、そうだ。俺も・・・。その覚悟は出来ている。」
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