日本の曳山祭

関東 青梅大祭
5月2・3日/東京都青梅市/住吉神社

東京の西部、甲州裏街道とも呼ばれる青梅街道の宿場町青梅の最大の祭り。
明治5年の文献「本町一・二丁目 祭禮出シ行列順番控」により、住吉祭礼に山車が登場したのは明治初期頃と推定される。青梅縞などで栄えた町民によって、憧れであった江戸の天下祭りと同型の山車を購入、旧青梅宿の氏子5町(住江町、本町、仲町、上町、森下町)にて行われていたようだ。当時の山車は二重高欄に、原舟月、仲秀英など江戸一流の人形師の手による人形を載せたものだったが、電化に伴い巡行が困難になり、明治43年の祭礼を最後に鉾台型山車から屋台型山車に改造された。昭和25年頃、氏子4町(裏宿町、大柳町、天ヶ瀬町、滝ノ上町)を加え、更に近隣の西分町、勝沼町、日向和田が参加し、青梅大祭の成立につながる。現在山車人形は祭礼時に町家(人形場)に飾られる。
山車の曳き廻しは5月2日と3日に行われる。2日は昼頃より町内曳き、3日の本祭りは12台の山車が旧青梅街道を練る。山車と山車がすれ違うときの囃子の激しい叩きあい(競り合い)は見ごたえがある。囃子は江戸神田囃子の流れをくむもので、特にこの競り合いの時の激しさは独特である。日没後、神社境内では宮入りの儀が行われる。宮本町の山車が境内に入り、山車に納められていた御神体が降ろされ宮司に手渡される。松明が焚かれるなか、静かに、厳かに執り行われ、祭礼は終わる。

人形場の様子 3日午後6時頃 市民会館前にて 宮入りの儀


山車・山車人形

墨江町山車人形
本町山車人形
仲町山車人形
神功皇后(住吉神社の祭神)。明治7年、都梁斎仲秀英作。明治20年頃、神田宮本町から購入と伝えられる。 神功皇后と、応神天皇を抱いた武内宿弥。明治2年頃、三代目原舟月作。 静御前。江戸末期または明治5年頃、松雲斎徳山作。

上町山車人形
森下町山車人形
墨江町山車
日本武尊。安政頃制作、作者不明。 武内宿弥。嘉永元年、法橋仲秀英作。 三ツ車、白木造り。大正5〜8年頃創建。

本町山車
仲町山車
上町山車
明治17年、神田岩本町より人形とともに購入。元は土浦市大町所有の山車と推定される。 明治20年頃、人形購入に伴い制作され現在の山車は2代目(昭和3年建造)。初代は大柳町所有。 明治5年頃、人形と共に浅草福井町より購入と伝えられる。三ツ車。

森下町山車
西分町山車
勝沼町山車
神田三河町四丁目の山車として神田祭で曳かれていたもの。嘉永元年建造と伝えられる。 西分神社の氏子町。現在の山車は昭和47年、西分神社遷宮百年祭の記念で制作、極彩色彫刻の山車。 勝沼神社の氏子町。昭和24年建造。武蔵野市境町・島村家から購入の彫刻を取り入れている。

滝ノ上町山車
天ヶ瀬町山車
大柳町山車
千ヶ瀬町より借用の山車。 以前は駒木町より借用していたが、現在の山車は平成7年に建造、天ヶ瀬淵の伝説を意匠としたもの。 明治20年頃に仲町で制作され、仲町から下長淵へ売却された山車を昭和58年に購入。

裏宿町山車
日向和田山車
平成元年建造。摩利支天の意匠で二重唐破風屋根の白木造り。 和田乃神社の氏子町。友田より借用していたが、現在の山車は昭和62年建造の白木造り。


関連サイト

青梅大祭に行こう! 大柳町 柳連保存会


動画




地図


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