日本の曳山祭

関東 神田祭
5月15日に近い土曜・日曜/東京都千代田区外神田/神田神社

江戸時代、神田祭と山王祭は徳川幕府の庇護の元、天下祭と呼ばれ盛大に行われた。この神田祭では36番の山車行列があり、将軍の上覧を受けるため江戸城内に入ることを許されたという。明治に入り、時の政府による幕府色の強い山車祭りの弾圧や電灯線の影響などから、明治22年の大日本帝国憲法発布記念の曳行を最後に大規模な山車巡行は行われなくなった。
現在では築地魚河岸会の加茂能人形山車、神田松枝町の羽衣山車、日本橋室町の加茂能人形山車があり、また神幸祭に神輿や鳳輦とともに諫鼓山車、獅子頭が曳かれる。今年(平成15年)は特に江戸開府400年にあたる記念すべき年で、付祭として底抜け屋台の復興と東京芸術大学の学生制作による幻の曳物4台、御祭神である平将門公縁の相馬野馬追の騎馬武者行列などが加わった。翌日は約90基もの神輿が宮入する。
神田祭と山王祭は交互に行われ、西暦奇数年が神田祭の本祭となる。(2003年5月10日)

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
1.神幸祭(二の宮神輿)
2.諫鼓山車(神幸祭の一番山車)。平成2年に復元。
3.獅子頭。関東大震災で焼失したものを昭和58年に復興。
4.三の宮鳳輦
6.底抜け屋台
7.鯱(しゃちほこ)の曳物
8.金太郎の曳物
9.鵺(ぬえ)の曳物
10.曳物 鵺(ぬえ)と昨年に引き続き参加の胎児、秋葉原電気街を行く。
11.曳物 一番手前は蘭陵王(らんりょうおう)
12.金太郎の曳物
13.途中より数基の町神輿も神幸行列に参加
14.巡行のフィナーレ、神社下にて。別れを惜しむように踊り狂う若者達。




以下は広告です
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送