日本の曳山祭

中部 城端神明宮春季祭礼(城端曳山祭)
5月4・5日/富山県南砺市城端/城端神明宮

小京都と呼ばれる街並みの狭い路地を6町の絢爛豪華な曳山や精巧な庵屋台が曳かれる。城端は真宗寺院の別院を中心とした門前町として、今もそのたたずまいを残している。
曳山は屋形式二層で彩色された彫刻や金具が施され、二層目に御神像が安置される。各町の曳山の前に京都祇園の一力茶屋や江戸吉原の料亭を模して造られた庵屋台が練り歩く。これは底抜け屋台形式で笛や三味線の囃子方が入り、「所望」と書かれた家の前で止まり庵唄を披露、所望する家は親戚などを招待しこれを楽しむ。曳山、庵屋台の巡行と別順路をたどる渡御行列は剱鉾、各町の傘鉾、獅子舞などが三基の神輿を先導して練り歩く。若者的な活気や勢いはないが、情緒豊かで優雅な祭り。平成14年1月、城端神明宮祭の曳山行事として国の重要無形文化財指定。5月14・15日の祭礼日が平成18年から5月4・5日に変更された。(2004年5月15日、2006年5月補足)




曳山・庵屋台

西下町
東上町
大工町
かんこやま
諫鼓山
つるまいやま
鶴舞山
せんまいぶんどうやま
千枚分銅山
享保年間(1716頃)に原型ができる/御神像は堯王、享保元年(1716)木屋五郎右衛門作 享保年間(1716頃)に原型ができる/御神像は寿老、安永2年(1773)荒木和助作/見返しは寛政3年(1791)初代荒木和助作 享保年間(1716頃)に原型ができる/御神像は関羽と周倉、 寛政8年(1796)荒木和助作/見返しは寛政3年(1791)初代荒木和助作
西下町庵屋台
明治22年(1889)制作/二階建数寄屋造り
東上町庵屋台
七代目小原治五右衛門の作と伝えられる/江戸の料亭がモデル
大工町庵屋台
明治31年の大火で消失、明治41年復元/在原業平の別荘がモデル

西上町
東下町
出丸町
たけだやま
竹田山
とうようやま
東耀山
からこやま
唐子山
享保年間(1716頃)に原型ができる/御神像は恵比須、寛政7年(1795)荒木和助作 享保年間(1716頃)に原型ができる/御神像は大黒天、安永3年(1774)荒木和助作/2体のからくり人形、明和2年(1765)初代荒木和助作 享保5年(1720)に原型ができる/御神像は布袋、 宝暦12年(1762)荒木和助作/見返しは「司馬温公瓶割の図」明治45年(1812)作
西上町庵屋台
大正4年(1915)制作/京都の料亭を模した二階建数寄屋造り
東下町庵屋台
平屋建二棟構えの数寄屋造り
出丸町庵屋台
平屋建二棟構えの数寄屋造り



動画




地図


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