日本の曳山祭



古川祭 屋台


青龍台
(せいりゅうたい)
殿町組
鳳凰台
(ほうおうたい)
壱之町中組
麒麟台
(きりんたい)
壱之町下組
三光台
(さんこうたい)
弐之町上組
安政6年(1856)高山の黄鶴台を購入、文久元年改造、昭和15年改修。四輪御所車、見送りは堂本印象「昇天龍」。からくりは「大津絵」(福禄寿の肩に乗る唐子)。 明治24年廃台ののち大正11年新築。屋根飾りの鳳凰が特徴。見送りは長谷川玉純「鳳凰飛舞の図」。彫刻は村山群鳳ほか。 現在の屋台(4代目)は昭和8年制作、本見送りは前田青邨「風神雷神図」。替見送りは玉舎春輝「日本武尊東征図」。からくりは「石橋」。 文久2年(1862)新築。見送りは幸野楳嶺「素戔鳴尊八岐大蛇退治の図」。替見送りは松村梅宰「虎図」。

金亀台
(きんきたい)
弐之町中組
龍笛台
(りゅうてきたい)
弐之町下組
清曜台
(せいようたい)
三之町上組
白虎台
(びゃっこたい)
三之町下組
安永5年(1776)創建、天保11年(1840)売却、翌12年新築。本見送りは天保年間京都大丸屋より購入の中国古代綴織「双龍図」。替見送りは鈴木松年「亀上浦島の図」。 明治15年廃台のち明治19年新築。工匠は谷口宗之、谷口宗俊、彫師は清水寅吉。見送りは垣内雲麟「雲龍図」。 旧名扇子台。下組と分離の際清曜台と改名。明治26年曳行中倒壊、のち昭和16年新築。見送りは近衛文麿「八紘一宇」書と今尾景祥「海浜老松図」。 天保13年(1842)古屋台を改造、昭和59年修復し子供歌舞伎を復活。見送りがなく下段が高いなど、古い形態を残す。源義経の祭神人形に因み子供歌舞伎「橋弁慶」を奉納する。

神楽台
(かぐらたい)
向町組
三番叟台
(さんばそうたい)
壱之町上組
明治16年高山一本杉白山神社の神楽台を購入、現在のものは明治24年新築、大正14年修理。二輪御所車の三輪、上段の太鼓の上に金色の大鳳凰を飾る。 明治28年以降休台。明治37年の古川大火で一部類焼、その後高山に売却。女三番叟のからくり人形は火難を逃れ現存する。




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